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「育てたように子は育つ」 手をかけた、心を尽くした だけのことはある。

「育てたように子は育つ」 手をかけた、心を尽くした だけのことはある。

<Profile>
6歳からモデルとして活躍。大学卒業後はキャスター、レポーターへと活動の場を広げる。結婚後は料理講師に。紅茶ソムリエとしてデンマークの王室御用達170年の老舗紅茶専門店を日本に紹介。デンマークで30年の歴史をもつ「トロールビーズ」の輸入総代理店の代表を務める。
祖母はデンマーク人、父はE.H.エリック氏、叔父は岡田真澄氏。留学中の長女(20)、高校生の次女(17)がいる。

岡田美里さん語録1 「三歳までは厳しく叱る。それ以降は、ほとんど怒ることがありませんでした」

初めて会った美里さんの印象は、この人は怒ることがあるんだろうかと思うほどやわらかな空気を持つ女性。実業家として忙しい毎日を過ごしていることを感じさせないほどだ。美里さんには二人のお嬢さんがいる。一人は20歳でカメラマンを目指して留学中の菊乃さんで、もう一人は17歳の高校生・小春さんだ。娘さんたちのことを怒ることはほとんどないという。

 「実は菊乃が3歳になるまではすごく怒ってましたね(笑)。やっぱりきちんと育ってほしかったから、ダメなものはダメって。本当に手をひっぱって、目を見て、肩をゆすって言うことをきかせたくらい」厳しかったそうだ。それも3歳くらいまでのこと。なぜなら「女の子ってママがちょっと首をかしげたり顔しかめればすぐわかるんですよね。“これはやっちゃいけないんだ”って。だから3歳まではすごく厳しくしたけれど、その後、上の子が20歳になるまでに3回くらいしか怒らなかったかな。今では、ちょっとだけ甘かったかなって思いますけど(笑)」

さらに驚いたのは、美里さんの娘さんたちが喧嘩をしないということ。
「喧嘩しそうな雰囲気が漂うと、瞬時に『ご本読もうか?』とか『粘土やる?』など声をかけて、二人がぶつからないように気分を変えさせるようなことをずっと続けていたんですね」。もちろん物事の善悪を教える場合は別だが、それ以外で二人がぶつかりそうになったときによく使ったのが、小麦粉とお水に食紅をちょっと混ぜてつくる小麦粘土というもの。
「小麦粘土は面倒だし、ボウルもキッチンも汚れますが、小麦粘土を与えるとそこから二人で3時間くらいおとなしく遊んでくれるんです。だから私は15分面倒だけど、3時間好きなことができるっていうのもあったんです」

いくら母親であっても、いつも子どもが喧嘩をはじめる瞬間を見ていることは、並大抵なことではない。当時のご主人である堺正章さんも多忙な人だったし、美里さんにも仕事があった。そこで子育てと仕事を両立させるために、家から1分の距離に自分の拠点としてアトリエを持ち、職場と自宅をすごく近くして切り抜けてきたという。美里さんが言うには「子どもたちも小学生の頃は私が仕事をしていることに気づいていなかったくらい」だったそうだ。
「育てたように子は育つ」 手をかけた、心を尽くした だけのことはある。

岡田美里さん語録2 「自然の中で何もなくても遊べることは、クリエーションの原点です」

「何かを自分から作りだせる人になってほしいなって思って」。それぞれ性格も違えば、趣味趣向も違う二人の娘さんに美里さんが願ったことはこのひとつ。

何か台があると登って踊っていたという菊乃さんには、「自然の中で何もないゼロから遊べる子になってほしかったので、よく自然の中へ連れていきました。物がないと遊べないというのではなく、枝や葉っぱでも遊べる子にしたかった」と美里さんは語る。人工物が何もない自然はまさに、クリエーションの原点だ。
そんな菊乃さんがビデオばかりを観たいという時期があり、美里さん自身、自分が悪い親なんじゃないかって思うくらい見せたこともあるそう。
「それが次第に、映像が画像に興味を持つようになり、高校1年生のころ、彼女が撮った写真を見て、『すごく上手いと思う』ってのせちゃって(笑)」
すると菊乃さんは「決めた!カメラにする」と言って、本当にカメラの方に進み始めた。もちろんモデル歴の長い美里さんは、写真については詳しい。だからといって経験で学べるところを指摘するのではなく、構図のセンスだったり、彼女ならではのいい部分を育てるための言葉を発してきた。

小春さんのことも同様に、「積み木とかパズルを淡々と真剣にやって、パズルも100%完成させるまで途中で投げ出さない姿を見て、絶対建築家になれば似合うな」と思っていたそう。すると、興味を持つものが、シルバニアファミリーのお家やレゴでつくるものも全部お家だったから、「あなたは本当に建築家になると似合うと思うわよ」って言って育てたという。そして今、大学の進路を決める段階になって「決めた!私インテリアやる」って言い始めたという。

一歩間違えれば、親の理想へと誘導しがちになるが、美里さんがやってきたことは、その子自身が興味のある方へ、才能のある方へ気持ちが向いているときに、いいタイミングで背中をポンと後押すようなものだったのかもしれない。
「育てたように子は育つ」 手をかけた、心を尽くした だけのことはある。

岡田美里さん語録3 「夫婦の離婚で、何よりも子どもたちに辛い将来を与えたくなかった」

美里さんは離婚をする際に子どもたちのためにできることは最大限やろうと決めていた。そのために読んだ心理学の本にはこう書いてあった。
「どちらの親にも会いたいときに会って、どちらも嫌だと思わず育った子だけは絶対不良にはならない」。そこで美里さんは、辛い気持ちや不安な気持ちもあったけれど、あえて家を出たときにものすごく近くに引っ越しをした。
「子どもが歩いて行ける距離がいいと思って、学校帰りにどっちの家にいってもいいように。私が仕事のときはパパの家で預かってもらったり、子どもたちも同級生とパパの家に泊まりに行ったり、ママの家に泊まりに来たり。同級生のママ達も見守ってくれていた感じでした」。

子どもに関するすべての行事をパパと一緒に出ていたという美里さん。
「最初、『え?』って感じで見られました。行事のときには、家族みたいに写真撮ったりしてるから不思議な家族に見えていたと思います。子どもたちの思い出のアルバムも全部家族で写っているんですよね」。
子どものために、複雑な思いを抱えながら別れた二人が努めてやってきたことは、二人の娘さんだけでなく、二人にも大きな意味があった。「今は全部乗り越えた老夫婦みたいな感じ」だという。
「子どもたちの意識としても、広大な敷地の離れに住んでいるパパとママみたいな感じだったんでしょうね。子どもたちはママの前でパパのことも言うし、パパの前でもママのことを言うと思うし、そういうストレスはなかったと思うんですね」。

美里さんは家庭では子どものことを第一に考えてやってきたが、仕事でも自分が何かしたいというのではなく、美里さんを動かすのはいつも誰かのために何かをしたいという思いだったという。そして今、二人の娘さんも大きくなり、少しは自分のことを考える余裕も出てきた。
「私を含め周りの友達も誰一人自分が思っていた人生にはなってないんですけど、それなりに自分の世界を築いている人が多いんですね。私としては今こうなったからには今の仕事を一生懸命やっていこうと思っています。でも、自分にもいい時間をたくさんつくってあげて、週末にはのんびりする、少しはそういう過ごし方ができるようにやっとなれたかなと思います」。

ママリブ会員 受講を終えて・・・

美里さんのお話を聴いて、どうしてここまでできるんだろう・・・と思わずにはいられませんでした。娘さんの才能の伸ばし方、離婚後の家族の作り方に、母としての愛情の深さを感じました。その深い愛情があってこそ、「育てたように子は育つ」と言えるかもしれません。私たちも自信を持ってそう言えるように、忙しさに流されそうになる毎日ですが、ここで一度立ち止まって見直したいと思います。

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