母親塾

プロフィール紹介

「才能とは、継続する力なり!」

「才能とは、継続する力なり!」

<Profile>
1946年生まれ、富山県出身。
現在36歳、24歳になる二人の娘さんがいらっしゃる。
東京大学卒業後、総理府入省。内閣広報室参事官、男女共同参画室長、埼玉県副知事を経て、1998年、女性初の総領事(オーストリラリア・ブリスベー ン)。2001年、内閣府初代男女共同参画局長。2004年昭和女子大教授。2007年4月より昭和女子大学長。著書「女性の品格」「親の品格」など多 数。

坂東眞理さん語録1 「理解ある周りの方に感謝!」

 「24歳で結婚。26歳で第一子を出産というのは、当時の女性の平均でした」とおっしゃる眞理子さん。ご自身もそうであった。
 ご主人は高校の同級生。共に東京大学に進学し、ご主人は工学部、眞理子さんは文学部を専攻。別々ではあったが交流は続き、ご主人が大学院卒業後に結婚。「総理府で働きながら、結婚、出産を経験しました。 長女を出産する頃は係長クラス。産休は前後6週間ずつしかもらえず、保育所に入れるまで両親の協力を得ていました。当時は0歳児保育所がほとんどなく、 48倍の難関を経てやっと入れたのです。印象深く覚えていますね」
  娘さんが小さかった頃は、あずけている人との信頼関係が大切だったという。「母親は私ですが、いろんな人が愛情を持って、娘を育ててくれました。その方々は未だに、娘の事を気にかけてくれています」
 次女の出産時は、課長補佐という役職。仕事も順調で実績を残していた時期でもあった。「20歳代半ばから40歳前までは一番仕事が忙しく、やりがいのある時期。帰宅時間が遅くなることも多く、子育てとの両立はなかなか難しかったです。次女が生まれた頃、父親は亡くなっていて、母親が自由な時間をもてるようになったので、子育てのサポートをしてくれました。富山から上京してもらって…。誰かがサポートしてくれると、こんなに違うものかと思いましたね。母親には支えてくれたことに感謝しています。もちろん主人にも感謝していますよ。周りの方にも『妻が働く事に理解がある旦那様』という風に羨ましがられました。
  12歳になる長女は、よく『私が妹を育てたのよ』と言っていました。私よりも厳しかったようです」
 「今は娘たちも独立し、また自分だけの時間が増えて楽になりましたが、寂しさも感じます。あの頃の忙しかった日々が懐かしく思え、充実感もあったように思います。娘たちには、『小さい頃、仕事中心だったね』と言われますが、当時はそれが当たり前で、娘たちに寂しいという思いはなかったようです」

坂東眞理さん語録2 「子育ての楽しさを伝えたい!」

 「24歳で結婚。26歳で第一子を出産というのは、当時の女性の平均でした」とおっしゃる眞理子さん。ご自身もそうであった。
 ご主人は高校の同級生。共に東京大学に進学し、ご主人は工学部、眞理子さんは文学部を専攻。別々ではあったが交流は続き、ご主人が大学院卒業後に結婚。「総理府で働きながら、結婚、出産を経験しました。 長女を出産する頃は係長クラス。産休は前後6週間ずつしかもらえず、保育所に入れるまで両親の協力を得ていました。当時は0歳児保育所がほとんどなく、 48倍の難関を経てやっと入れたのです。印象深く覚えていますね」
  娘さんが小さかった頃は、あずけている人との信頼関係が大切だったという。「母親は私ですが、いろんな人が愛情を持って、娘を育ててくれました。その方々は未だに、娘の事を気にかけてくれています」
 次女の出産時は、課長補佐という役職。仕事も順調で実績を残していた時期でもあった。「20歳代半ばから40歳前までは一番仕事が忙しく、やりがいのある時期。帰宅時間が遅くなることも多く、子育てとの両立はなかなか難しかったです。次女が生まれた頃、父親は亡くなっていて、母親が自由な時間をもてるようになったので、子育てのサポートをしてくれました。富山から上京してもらって…。誰かがサポートしてくれると、こんなに違うものかと思いましたね。母親には支えてくれたことに感謝しています。もちろん主人にも感謝していますよ。周りの方にも『妻が働く事に理解がある旦那様』という風に羨ましがられました。
  12歳になる長女は、よく『私が妹を育てたのよ』と言っていました。私よりも厳しかったようです」
 「今は娘たちも独立し、また自分だけの時間が増えて楽になりましたが、寂しさも感じます。あの頃の忙しかった日々が懐かしく思え、充実感もあったように思います。娘たちには、『小さい頃、仕事中心だったね』と言われますが、当時はそれが当たり前で、娘たちに寂しいという思いはなかったようです」

坂東眞理さん語録3 「女性の人生の折り返しは44歳!?」

 昭和女子大の学長になって5年ほどになる眞理子さん。「自分の力不足を感じ、もっとやらなければならないことがたくさんあると考えています」という。そんな中、昭和女子大では様々な試みをしている。その中の一つ、結婚や子育てで離職したママ達の再就職サポートとして、チャレンジ意欲をバックアップする『元気にママチャレ!』。「30歳代後半の方を中心に50歳近くの方もいて、受講者の年齢の幅は広いですね。この企画がどういう形で進んでいくのか、半年のプログラムで学んだママ達がどういう再チャレンジが実現したかなど期待でいっぱいです。受講している方々には、勉強を共にした仲間との新しいネットワークや情報交換の場として大いに利用していただきたいと思っています。他にも昭和女子大には子育て支援のNPOにより、『昭和ナースリー』(こども園)や『おでかけひろばSHIP』、『SHIP DAY NURSERY』(一時預かり)という施設があります。それらを利用して『元気にママチャレ!』に通うことも出来るので、是非活用していただきたいと思います」
 女性の人生の折り返しは44歳とおっしゃる眞理子さん。「子育てが終わったからとぼーっと人生を送るのではなく、もう一度勉強して後半の人生を歩みだしてはいかがでしょうか。もう年だから…と40歳代の人が言っていると『まだまだよ!』と言いたくなるのです。学生たちも結婚後の人生がどうなるか分からないとよく言います。結婚して子育てをしているお母さん達には、もっと意識的に後半の人生を考えて、自分で一歩踏み出すべきだと伝えたいのです。そういう人たちを応援していきたいのが今の私の気持ち。『元気にママチャレ!』がきっかけになってくれれば嬉しいですね」
 大学では授業と通して学生たちとのコミュニケーションをとっているそう。「まだまだ子どもだなと思います。親御さんに大事にされ、愛されて育ってきているせいか、自分は何をしよう、何をがんばろうとあまりまだ考えてない学生が多いと感じますね。学生たちには、一生懸命年をとるのはマイナスじゃないという事を伝えたい。プラスになるような生き方をしなさい、いろいろな事を学んで素敵に年をとりなさいよと言っています」
 最後に眞理子さんが座右の銘としている『愛語(あいご)』について伺った。「相手への思いやり、愛情にみちた言葉は人の心を動かす。埼玉県副知事の時、私の事を心配してくれた方の言葉や、子育て中に職場の方に頑張れと言われた言葉は心に響き、勇気づけられました。自分自身もそういう風に人と接していきたいと思っています」

ママリブ会員 受講を終えて・・・

学長室に通していただき、緊張感いっぱいでスタートした今回の対談でしたが、坂東先生の言葉には、ママ達への力強く温かいエールがいっぱいで嬉しかったです。子育て中心になりがちな生活の中でも、「自分育て」を忘れないこと。家族や周りの方達への感謝の気持ち「愛語」を尽くすこと。「もっともっと自信を持っていい。」「自分の力を信じて挑戦していい。」そんな風に、誰かに言ってもらいたいと思っているママは、私だけではないかも知れません。坂東先生、たくさんの勇気をありがとうございました。